曲師 沢村豊子のあゆみ

夢は「踊りのお師匠さん」

修業時代の豊子

修業時代の豊子

1937年福岡県大牟田市生まれ。
幼少時に佐賀県北方町(現在の武雄市)に移る。
呉服の行商をしていた父親のもとで、10歳から坂東流と藤間流の日本舞踊と、踊りの師匠になるための必要として端唄三味線を習う。
 
11歳のとき、「アンタんとこのお嬢ちゃん、三味線弾けるよね」と母親に問いかけてきた近所のおばさんによって、佐賀市にあった佐賀劇場に連れていかれる。
 
そこで公演していたのは、浪曲師・佃雪舟一座。座長の佃雪舟は曲師を育てたいと思っていた。それまで習っていたのは細棹の三味線であったが、楽屋でいきなり太棹の浪曲三味線を持たされ、試し弾きをさせられた。
 
その筋の良さを見込まれ「お嬢ちゃん、東京に行くかい?」と聞かれたのを「東京に行く=踊りのお師匠さんになれる」と思いこみ「行く!」と承諾。両親の了解を得て、佃雪舟の巡業にそのまま加わり、熊本、天草などを巡業後に上京。1948年のことであった。
 

12歳で浪曲界へ

一世を風靡した国友忠の口演風景

一世を風靡した国友忠の口演風景

内弟子となり、曲師の名手・山本艶子のもとに佃雪舟と一緒に毎日通い、厳しく稽古をつけてもらった。拍子をとるのに、腿を叩かれるのがとても痛かった。弾けるようになるや、佃雪舟の旅巡業に従って、曲師・佃美舟として全国をまわる。
 
五年の内弟子、一年のお礼奉公を経て、当時売り出し中の浪曲師・国友忠の浪曲教室に、専属曲師として参加。芸名を沢村豊子と改める。
講師として招かれた広沢虎造や二葉百合子をはじめとしたプロの浪曲師達、またプロはだしの天狗連(素人の浪曲好き)の多種多様な節を弾きこなすべく、過去のさまざまな音源を聞きおぼえ、芸の幅を広めた。以後30年、国友忠の相三味線として主に放送浪曲で活躍する。
 

家庭に入るも、国民的大歌手の依頼で復帰

40代の頃の豊子

40代の頃の豊子

1964年、国友忠が体調を崩して半引退生活になったのに従って、自らも半分引退のような形になる。
 
子育てで10年ほどブランクがあり、もう芸人には戻らない気持ちでいたが、三波春夫のマネジメントをしていた夫人から電話があり、三波春夫を弾いてほしいと依頼を受ける。
「もう堅気になっているので……」と断るが、「弾けないわけがない。天下の三波春夫の三味線が弾けないというのか!」と言われ、その一言で、曲師復帰。
 
以後、三波春夫、二葉百合子をはじめ、舞台復帰した国友忠、三代目玉川勝太郎、太田英夫(現・二代目東家浦太郎)、二代目玉川福太郎、二代目春日井梅鶯、葵わかば、木村若友など、多くの浪曲師を三味線で支えた。
 

若手の応援、そして名人へ

左から、豊子、東家栄子、沢村さくら、国本武春、玉川奈々福、玉川みね子

左から、豊子、東家栄子、沢村さくら、
国本武春、玉川奈々福、玉川みね子
2004年10月「徹底天保水滸伝」楽屋にて

曲師・岩崎節子引退後、国本武春の相三味線となる。2003年以降、玉川奈々福の三味線も務め、古典のみならず、奈々福自作の新作も手掛け、新しい表現にも意欲的に挑戦し続けている。
ベテランのみならず、若手・前座にいたるまで、わけへだてなく弾いて浪曲をあざやかに彩っている。

2010年4月、国本武春の主催で『浪曲三味線 沢村豊子の世界』が浅草・木馬亭で開かれ、浪曲三味線の技術などが細かく収録された教則DVD『浪曲三味線 沢村豊子の世界』が発売された。
 
2010年11月に背骨を骨折して入院、2016年10月、手を骨折して手術、再起を危ぶまれたが無事復帰した。音色の美しさには定評がある。
 
2021年2月、第四十二回松尾芸能賞功労賞受賞。
弟子に、 沢村さくら、沢村美舟、沢村まみ、沢村道世、沢村理緒、沢村博喜がいる。
(左)一番弟子 さくら、豊子(右)三番弟子 まみ、豊子、二番弟子 美舟

(左)一番弟子 さくら、豊子(右)三番弟子 まみ、豊子、二番弟子 美舟

 

【関連書籍】
姜信子著『現代説経集』(ぷねうま舎)
膨大な時間をかけて沢村豊子の話を聞き、その人生を描いてくれた章が収録されています。
Amazonで購入する

夢は「踊りのお師匠さん」

1937年福岡県大牟田市生まれ。
幼少時に佐賀県北方町(現在の武雄市)に移る。
呉服の行商をしていた父親のもとで、10歳から坂東流と藤間流の日本舞踊と、踊りの師匠になるための必要として端唄三味線を習う。
 
11歳のとき、「アンタんとこのお嬢ちゃん、三味線弾けるよね」と母親に問いかけてきた近所のおばさんによって、佐賀市にあった佐賀劇場に連れていかれる。
 
そこで公演していたのは、浪曲師・佃雪舟一座。座長の佃雪舟は曲師を育てたいと思っていた。それまで習っていたのは細棹の三味線であったが、楽屋でいきなり太棹の浪曲三味線を持たされ、試し弾きをさせられた。
 
その筋の良さを見込まれ「お嬢ちゃん、東京に行くかい?」と聞かれたのを「東京に行く=踊りのお師匠さんになれる」と思いこみ「行く!」と承諾。両親の了解を得て、佃雪舟の巡業にそのまま加わり、熊本、天草などを巡業後に上京。1948年のことであった。
 

修業時代の豊子

修業時代の豊子

 

12歳で浪曲界へ

内弟子となり、曲師の名手・山本艶子のもとに佃雪舟と一緒に毎日通い、厳しく稽古をつけてもらった。拍子をとるのに、腿を叩かれるのがとても痛かった。弾けるようになるや、佃雪舟の旅巡業に従って、曲師・佃美舟として全国をまわる。
 
五年の内弟子、一年のお礼奉公を経て、当時売り出し中の浪曲師・国友忠の浪曲教室に、専属曲師として参加。芸名を沢村豊子と改める。
講師として招かれた広沢虎造や二葉百合子をはじめとしたプロの浪曲師達、またプロはだしの天狗連(素人の浪曲好き)の多種多様な節を弾きこなすべく、過去のさまざまな音源を聞きおぼえ、芸の幅を広めた。以後30年、国友忠の相三味線として主に放送浪曲で活躍する。
 

一世を風靡した国友忠の口演風景

一世を風靡した国友忠の口演風景

 

家庭に入るも、国民的大歌手の依頼で復帰

1964年、国友忠が体調を崩して半引退生活になったのに従って、自らも半分引退のような形になる。
 
子育てで10年ほどブランクがあり、もう芸人には戻らない気持ちでいたが、三波春夫のマネジメントをしていた夫人から電話があり、三波春夫を弾いてほしいと依頼を受ける。
「もう堅気になっているので……」と断るが、「弾けないわけがない。天下の三波春夫の三味線が弾けないというのか!」と言われ、その一言で、曲師復帰。
 
以後、三波春夫、二葉百合子をはじめ、舞台復帰した国友忠、三代目玉川勝太郎、太田英夫(現・二代目東家浦太郎)、二代目玉川福太郎、二代目春日井梅鶯、葵わかば、木村若友など、多くの浪曲師を三味線で支えた。
 

40代の頃の豊子

40代の頃の豊子

 

若手の応援、そして名人へ

曲師・岩崎節子引退後、国本武春の相三味線となる。2003年以降、玉川奈々福の三味線も務め、古典のみならず、奈々福自作の新作も手掛け、新しい表現にも意欲的に挑戦し続けている。
ベテランのみならず、若手・前座にいたるまで、わけへだてなく弾いて浪曲をあざやかに彩っている。
 

左から、豊子、東家栄子、沢村さくら、国本武春、玉川奈々福、玉川みね子

左から、豊子、東家栄子、沢村さくら、
国本武春、玉川奈々福、玉川みね子
2004年10月「徹底天保水滸伝」楽屋にて


2010年4月、国本武春の主催で『浪曲三味線 沢村豊子の世界』が浅草・木馬亭で開かれ、浪曲三味線の技術などが細かく収録された教則DVD『浪曲三味線 沢村豊子の世界』が発売された。
 
2010年11月に背骨を骨折して入院、2016年10月、手を骨折して手術、再起を危ぶまれたが無事復帰した。音色の美しさには定評がある。
 
2021年2月、第四十二回松尾芸能賞功労賞受賞。
弟子に、沢村さくら、沢村美舟、沢村まみ、沢村道世、沢村理緒、沢村博喜がいる。

(左)一番弟子 さくら、豊子(右)三番弟子 まみ、豊子、二番弟子 美舟

(左)一番弟子 さくら、豊子(右)三番弟子 まみ、豊子、二番弟子 美舟

 

【関連書籍】
姜信子著『現代説経集』(ぷねうま舎)
膨大な時間をかけて沢村豊子の話を聞き、その人生を描いてくれた章が収録されています。
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お問い合わせ

沢村豊子のお問い合わせ、お仕事のご依頼は「ななふく本舗」までご連絡ください。

 
曲師 沢村豊子

沢村豊子(さわむら とよこ)

昭和12年 福岡県生まれ。
昭和23年 12歳の時、九州巡業中の浪曲師佃雪舟に誘われ上京、浪曲界に入る。
浅草で名曲師山本艶子に浪曲三味線の手ほどきを受け、佃雪舟の合三味線として日本全国を巡業する。
昭和29年 5年間の年季、1年間の礼奉公の後、当時売出し中の浪曲師国友忠が主催する赤坂の「浪曲教室」に参加、さまざまな浪曲師の三味線を務め腕を磨く。その後、国友忠の合三味線となりラジオ東京(TBS)の浪曲ドラマの曲師なども担当。
国友の「銭形平次」は豊子の名演と共にラジオで一世を風靡する。以後30年間、国友忠の三味線一筋。
平成13年 国本武春の合三味線、岩崎節子の引退とともに、この年以降、武春の三味線を担当するようになる。
その音締(ねじめ)の良さと技術は浪曲界随一。ベテランから若手まですべての浪曲人に愛される、まさしく浪曲界の宝である。
2021年 第四十二回松尾芸能賞功労賞受賞。